ものもたぱ王国日誌

ただの備忘録です

【書評】「クルマを捨ててこそ地方は甦る」

知人がゼミの課題図書として読んでいて気になったので購入。読み終えていろいろと思ったことがあったので書いてみます。

 

クルマを捨ててこそ地方は甦る (PHP新書)

クルマを捨ててこそ地方は甦る (PHP新書)

 

 

①郊外化の原因は郊外志向なのだろうか?

 

筆者は郊外の宅地開発と人々の車依存と郊外志向、それによりまちの中心部の商店街が衰退し、シャッター街化としたと分析している。果たして、本当にそうなのだろうか。私が思うに、街の中心部では家を買うことのできない人たちが、郊外に土地を買って、家を作り、駅や会社へ向かうにあたる足として車を使う。その人たちにとって都合のよいようにスーパーなどの店が郊外に進出し、郊外の人間は近い郊外の店で済ますようになる。これは当然の理ではないだろうか。みんながみんな街の中心部の高い土地を買えるならそもそも郊外化は起きないだろうし、郊外型ショッピングセンターも各地にたくさんできるわけがない。

 

②郊外化=雇用の喪失なのだろうか?

 

車社会の地方都市では「民間が投資しなくなり、撤退していく」と書いてある。ちょっと待ってほしい。中心部がシャッター街化していたとしても、郊外型大型ショッピングセンターがあればその分の雇用が創出されているという事実に目を背けている。中心街では雇用はないかもしれないが、郊外に仕事があればそっちで働いて生きていけるのではないのだろうか。雇用人数の話があったが、商店街で抱えられる雇用よりショッピングセンターで雇用される人間の方が少ないということが現実あり得るのだろうか?私はあり得ないと思う。商店街の店は家族経営がほとんどだろう。そこでパートやアルバイトを数人も抱えるということがあまり考えられない(喫茶店などならあり得るが)。

 

③富山LRT事業は特殊だ

 

4章で富山LRT事業についていろいろと書かれている。個人的に思うのは富山市が全国で17しかない路面電車を運行している地域という特殊性だ。市民にとっては路面電車というのが当たり前にある。また富山港線はJR西が運行していたのを移管したようなものであり、市民に抵抗はあまりないだろう。今、宇都宮でLRT事業が進行しているが、LRT反対派がかなりいるようで、2016年の宇都宮市長選では賛成派の現市長と反対派の候補との得票差は約6200票と僅差であった。市民から必要とされているのか判断がつきにくい。

富山のLRT事業を別角度から見てみよう。富山ライトレール株式会社は毎年9千万~1億前後の営業赤字を出している。これの赤字分を補てんするために補助金としての税金が投入されている。果たしてこれをペイできるほど沿線地域からの税収があるのだろうか?疑問である。

 

④車を捨てることができるのは公共交通が適度に発達していなければできない

 

一番見逃されやすく、かつ一番重要な点だと私は思う。東京や京都といった大都市なら車がなくても普通に生きていけるが、これが2時間に1本しか汽車がない地域ならどうだろうか?こんな地域で車を捨てるのは無理だろう。むしろ車がないと生きていけない。そんな地域で「車を使うのは危ないですよ」といっても説得力がない。年寄りだろうが若者だろうがそこにいる人たちはそんなリスクを承知の上で車を使っているのだ。

 

まとめ

 

私は筆者の考えが使えるのは都会に近い人口がある程度いる都市だと考えている。衰退してしまった都市では使いようがないのだ。これは衰退してしまった都市を蘇らせる特効薬ではないのだ。